未分類

映画ライオン(Lion)の原作を読んだ感想

当サイト記事では広告を含む場合があります。

こんにちは、8月ですね。早すぎる!!

子供のころは夏休みで人生バラ色ー!!!って感じだったのに、今では熱いだけ。。。
ほぼ毎日外は危険な暑さのようなので皆様お気を付けください。

以下めちゃくちゃネタバレオンパレードです!!

さて、映画ライオンを見てかなり衝撃的で、事実はどうだったのか?もっと知りたいと思い原作を読みました。

2014年の映画なのでもう10年も前のものになりますが、最近映画をふともう一度見たくなって。

実際にあったお話ということで、当時のインドの悲惨さがかなり克明に(でも現実よりはましに・・・)描かれています。非常に感動的で、ラストにはとてもハッピーエンドと思いきや深い悲しみも。そしてインドの信じられないような悲惨な現実に驚愕もします。

キャストの演技も素晴らしく、特に子供時代のサルーの自然な普通の子供らしい様子に胸を締め付けられます!誰もいなくなった夜のプラットフォームで目覚めて、兄を探して呼ぶ姿は、私の心臓が縮むほど心細い気持ちが伝わる・・・。

また、私としては、お兄さんグッドゥもかなり印象深かったです。出演時間は前半8分程度+α程度でしたが、兄弟の何気ない日常の様子もとっても自然で兄弟愛の感じがすごく好きです。

ちなみにこの映画に惹かれる理由は夫の子供のころとサルーの子供のころの役(サニーパワール君?)が似てるっていうのもあります。(気のせいかも?笑)そして大きなお目めのところなんか息子にも似てて丁度5歳で同い年なのでついつい重ねて母親みたいな気持ちにもなってたのかな、と。

そんな感じでもう一回映画見たら、もっと詳細を知りたくなって原作を読んでみました。

日本語訳バージョンもあるようですが、英語の原作も平坦な言葉でつづられているのでとても読みやすいです!

Amazonのkindleで500~1000円くらいで読める(試し読みしてた時は490円くらいだったのに翌日買おうとしたら1500円くらいに上がっていた)し、kindleだと辞書やgoogle 翻訳ともつながっているので、わからない言葉も簡単に調べられながら読めてよかったです!

インドで迷子⇒オーストラリアへ養子に

1986年、インド(マディヤプラーデシュ)で迷子になってしまった5歳の男の子の物語。

一応簡単なあらすじも・・・。

あらすじ

インド、マディヤプラーデシュのカンドワで、兄を待っている間に一人電車で寝てしまったサルー・・・電車から出ることもできず、1500㎞程東へ離れたコルカタにたどり着いてしまった。

当時(今も?)コルカタはストリートチルドレンも多く子供が一人ふらふらしていても誰も気にかけてくれないような場所。そんな子供を狙った人身売買などの危険をかいくぐりながら、幸運にもオーストラリアの養子に出されることになった。

それから20年が過ぎ、オーストラリア・タスマニアで何不自由なく暮らしてきたサルーは立派な「オーストラリア人」になっていた。それでもどんどん膨らむ故郷への思い。

あの日、「ここで待ってろ」と言ってた兄の幻影が今でも自分を探してる・・・。

そしてサルーはグーグルアースを使って5歳の記憶を頼りに故郷を見つけ出す!

映画『LION』を見て疑問だったこと

前に見たことあるけど、疑問に思う点がいくつかあったので原作を読んでみました。

兄(グッドゥ)について

映画ではサルーのお兄さんのその後については、サルーがいなくなったその夜に電車の事故で亡くなったと言う事しか語られていません。

映画内で、兄Gudduはサルーのことをとても可愛がりお世話している場面が多いです。一緒に仕事をしたり、サルーを力持ちだとほめたり、自転車に乗せて一緒に駅に行ったり・・・、まだ14歳くらいの子供なのに、一家の大黒柱として働いていて、恐らくサルーにとっては一緒にふざけ周れる兄でもあり、頼もしい父親のような存在でもあったのかと思います。

今の日本ではヤングケアラーと言う言葉が当てはまってくるのでしょうけれども、とにかくお兄さんの一生懸命さが伝わる、愛くるしく、時折見せる表情や状況からは切なくなるような場面でもありました。

(外国人だから年齢がわからないっていうのもあるけど、しっかりしている感じがとても14歳には見えない。)

さて、そのお兄さんのことをサルーはとても慕っていて、映画後半でサルーは27歳位になっていますが、お兄さんのことを思い出す場面が多いです。

家を見つけたら一番慕っていて尊敬していたお兄さんにあって、あの夜のことを話したい!そう思っていたのに、お兄さんだけは亡くなってしまっていたというラスト・・・。

インドでは子供が家をしばらくないだ離れたりするのが普通のようで、Gudduが数週間帰ってこないこともそう珍しいことではなかったようです。

最初はあまり気に留めていなかったお母さんですが、5歳の弟も連れて1週間もいないのはさすがにおかしいということで、2番目のお兄さんKalluに駅周辺などを探すよう頼み始めたそうです。

そして結局いなくなってから4週間後に、電車にひかれて亡くなっていたことが判明。

警察から兄Gudduが電車に轢かれた後の遺体の写真を見せられ、本人かどうかの確認を求められたようです。サルーはその詳細をお母さんから聞き出すのは憚れたようで、お兄さんに詳しく聞いたとこが原作では描写されていますが、本当に痛ましい状態でした。

4週間も経っているので、映画のラストに語られた通り

「その夜に亡くなった」

それ以外詳しいことはわからないのかもしれませんが、その夜何が起こったのかは、どうしてもぐるぐると考えてしまいます。

これは永遠に明らかになることはない、そう認めざるを得ない、とサルー本人も語っています。

でもでも、いち視聴者・読者の私でさえ、寝る前に考えるのが日課になるほど考えてしまいます。

なんでそうなったのか?

既に事故にあっていたからサルーを迎えに行けなかった?

それとも、もしサルーが電車に乗っていなければ亡くなっていなかった?

サルーを探している時どれほど不安だった?焦っていた?

サルーによると、グッドゥは映画内での描写にもあるように電車の乗り降り(飛び降りたりとか)は日々行っているので、サルーとしては失敗するはずがないと思うそうです。

そんな兄がなぜ自分いなくなった夜に失敗してしまったのか?

弟がいなくなってしまったことに困惑して焦っている中、ほんの一瞬の注意不足で事故に遭ってしまったのではないか・・・。

正直これが一番しっくりくるのかと思います。

映画の中でもグッドゥが夜、誰もいなくなったプラットフォームに戻ってきてサルーを探しに行った描写があります。このシーンを取り入れた真意はわかりませんが、ただサルーがいつも兄が探している様子を考えていたからなのか、現実にそうだった可能性が高いから取り入れたのか。そこも考えてしまいますね。

サルーとしても焦って事故にあった可能性が高いと思っているそうですが、そうであると決定づけることは自分の過ちというか自分のせいで兄が亡くなったと決めることにもなってしまいます。

なので「わからない」ものは「わからない」として納得しているんだと思います。

子供の人身売買について

もう1点特に恐ろしくそして疑問に思ったことは子供の人身売買についてです。

あとは孤児院であった性暴力も

映画ではっきりと描写されていなかったのは、暴力的であまりにも非人道的だったからなのでしょうか?

実際に捕まっていた子たちに何があったのかは知る由もありませんが、インドで人身売買があったことも事実。映画の表現の通り、サルー目線逃げ切ったことろまでしか現実にわかることはありませんが、臓器目的・性的な目的・労働等奴隷的な目的・・・そのような人身売買にかかわっていた可能性が高いのでしょう。

ちなみに人身売買になりそうだったこのシーン、俳優さんがインドではかなり有名な方らしく夫はここだけ盛り上がっていました。(笑)

お父さんはいない?

お父さんはサルーが3歳の時、妹のシェキラはまだお腹の中にいたときに、他の女性と蒸発したらしいです。

蒸発というか、お父さんはイスラム教徒(母ばヒンドゥー教)だったため、妻子を捨てて別の女性と結婚することは認めらることだったようです。

かなりひどいですね。お母さんは子供たちと死のうかとも思ったらしいです。

イスラム教とヒンドゥー教

イスラム教では一夫多妻制が認められていますし、イスラム法によると夫が「離婚」といえば離婚になるらしいですね。。。女性には拒否権無し。

私は国際結婚で夫はイスラム教徒なのですが、さすがにこれは救済もなくひどいと思います。自分語りで恐縮ですがうちの夫ならこんなことしないですね。というか一般的なイスラム教徒を見ても良識のある人間ならしない。

イスラム教ってこういう側面があるから非難されがちではありますが、離婚後にお母さんが引っ越し先として選んだ家はイスラム教徒が多く住むエリア。

その方が自分たちを助けてくれる人が多いと判断したらしく。

わたしはヒンドゥー教についてはあまり詳しくはありませんが、イスラム教では「喜捨」の意識(戒律)があるので、困っている人を助けるというのはイスラム教徒の根底にある行いなんだと思います。これについては私も身をもって感じており、イスラム教の素晴らしい所です。

ヒンドゥー教は日本の神道みたいなもんですよね。八百万の神みたいな。

多分ですが。

マントッシュの過去

映画ではかなりのこじらせ少年~青年に描かれていましたね。

そしてサルーとの確執も多少なりともありそうな。

現実にはどうだったのでしょう?

原作を読んだ限りだと、そこまでひどくないように感じました。

養母がマントッシュは稼いだお金もクスリに消える・・・みたいなこと言ってましたが、麻薬をやっているような描写は原作にはなかったです。(安心)

ただ、少年院(実際は少年院兼孤児院だったよう)にいた際にマントッシュは性被害にあっており、また親戚のおじさんからも同様の被害があったそうで、そのトラウマもあるようです。

養子縁組の手続きにもサルーはたった2ヵ月で済んだ一方、マントッシュは2年もかかったそうで、養子縁組をする安全な孤児院⇔(性)暴力のある孤児院兼少年院と行き来しなければならなかったようで、その不安定な生活のあったようですね。

今では養子縁組の成立に少なくとも1年はかかるようになってしまったらしく、のんきにしていられない状況にどうにか打開策やら孤児院の整備やらうまく進んでいるといいですね。

あとはサルーは恐らく元来明るくやんちゃな性格だったように見えますが、単にマントッシュはタイプが違ったというのもありそうです。

原作の最後にはマントッシュの弾ける笑顔の写真もありとても安心しました!!

最後まで読んでも疑問だったこと

サルーの兄弟の年齢

最初の方に、グッドゥは14歳、カルーは12歳、(サルーは当時5歳)と書いてあって、サルーと2人の兄とは9歳、7歳差なんだなー。と思っていたところ、両親が離婚したのはグッドゥ9歳、カルー6歳、サルー3歳(妹シェキラはお母さんのお腹の中)との記載が。

あれ、計算全く合わない。。

再開した時の年齢はカルー33歳、サルー30歳、シェキラは27歳なので、そこはおそらく(本当におそらく。。。)正しい。

サルーの10歳くらい上だと思われる私の義理の父は自分の生まれ年知らないし、当時知らなくて普通だったようだし、全員プラマイ2くらいはあり得るかと思います。

時間経過

まず、何月何日に電車に乗ってしまったのかが不明ではありますが、どのくらいの間ストリートチルドレンだったのかということも不明。

恐らく孤児院に入れられるまで、2ヵ月くらいさまよっていたようなのですが、そのことを孤児院の方に伝えることもできていなかったので、大人になって孤児院を再訪した際に伝えるととてもびっくりしていたとのこと。

うちの子は今5歳ですが1週間後とかは遠い未来すぎてうまく表現できないし理解もまだ難しいです。(個人差はあると思いますが。)

過去のことは何でも「昨日」と言ってることもあったし、全く教育を受ける機会のなかった5歳児にはやはり正しく時間経過を理解することは難しかったでしょう。

うちの子がコルカタに1人放り出されたら・・・そんなこと想像もできないです。(と言いながら何度も想像してしまう(笑))

サルーは本当に運が良かったしある程度のサバイバル能力もすでに付いていたのだろうなと思います。

飽食時代の飽食国で生まれ育った我が子は空腹に耐えることすら難しいでしょう。

こんなただの人間の私を「ママ、ママ」と呼んで、無償の愛をくれる子供達。

平和な日本で、迷子や人身売買の心配もほとんどない環境で一緒にいられる奇跡に感謝の気持ちが湧きます。

もう完全母目線で映画見てますが、改めて大切に愛して育てていきたいと思わずにはいられない。

当時&現在のインドの状況

インドについては少しの現地情報と調べた情報しかありませんが、お隣の国バングラデシュについてはもう少しわかることが多いので大体似ているようなので現実とストーリーと比較しながら検証?してみます。

鉄道事情

インドの電車は時間通りに来るのが奇跡、10時間遅れは当たり前だしちょっと早い位。

そんな中、カンドワ⇒コルカタで餓死せずに到着したのは1つ目の奇跡だったかと思います。

それにしてもそんな長い距離を回送車両だったのかわかりませんが、誰にも気づかれずに誰も乗り込みもせずに走り続けたのは不思議なことです。

これも「わからないこと」であると納得するしかないことですね。

もはや神のいたずらかと・・・。

教育事情

14歳のグッドゥは学校に通っていたことはあったのでしょうか?

それについては何も書かれていないです。

父親が蒸発するまでの9歳くらいまでは学校に通っていたかもしれないし。

1980年代の識字率は50%前後程度ですし、学校に行けずに働く子供はそう珍しくはなかったようですね。

年齢が適当

インドでは確か小学校に上がった年に正式に登録(多分戸籍か住民票的なものに)されると聞いたことがあります。私の知人でも同い年だと聞いていたのに実際には6歳年上だったということもありました。(なんか老けて見えていた)

バングラデシュの話になりますが、こちらでも登録は小学校に上がった際にということで、我が夫の妹はニックネームが本名として登録されてしまっていますw適当すぎる。

年齢も初めて会ったときは9歳で、その2年くらい後に何歳になったか聞いたらまだ9歳と言っていました。誕生日も本人は知らないし興味なし。

基本的に中学生になるくらいからみんな自分の年齢や誕生日を認識するのかと思います。

インドもそんな感じで子供でも2歳くらいは誤差としてあまり重要視されていないのかなと思いました。

とにかく書きたい感想

どうしても母親目線になっちゃうけど、感想をねじ込みたい

サルーのお母さま方は本当に素敵な方だと思う

サルーは実際には父親の家業に一緒に携わりながら、夕方帰宅後に家探しをしていたらしい。

今より制度が劣っていたであろう2010年前後のグーグルアースで、衛星写真から、5歳の記憶を頼りに探すことは本当にどれほど骨の折れる作業だったことか・・・。

20代後半で独身だったらお金もある程度稼いできて遊びまくってやりたいこと沢山楽しめる時期だと思うのに。4年も探すことに費やした。

だれでも自分のルーツに興味関心はあるとは思うけど、過去のことと割り切らずに探し続けたことからは、信念というかなんというか・・・自分の行動への自信(信頼?)を感じます。

そしてオーストラリアの親には申し訳ないと思っていても、自分の気持ちを大切にして行動することってなかなか難しいかと。。。思います。もちろん育ての親のことをかけがえのない「親」だという気持ちは揺るがないし大切な存在であることは前提に。

きっとお母さまがいつもサルーをまるまる全て受け入れて育てたから、そうやって自分の気持ちを大切に、地道で壮大な作業でもできたのだろうと、お母さまのサルーへの真摯な向き合い方にも意識が向かいます。

そしてインドのお母さまの方も、生きているだけでいい、育ててくれたことを感謝していると言っており、サルーをどうにかしたいとか自分の力の及ぶところに置きたいというような思いもなく、ただただ幸せを願っているんですね。

まあ30の息子に対して当たり前かもしれないけど、色々な人がいると思うので、サルーは嬉しかったと思います。

自分の選択や人生を受け入れてもらえたような、報われた気持ちだったかと思います。

まとめ

このお話しを語ってくれたサルー・ブライアリー氏に敬意を示します!

もしあの夜、電車で寝てしまわなければ兄は死なずに済んだかもしれない。

でも兄弟4人で学校に行けず今も貧困のループから抜け出せていなかったかもしれない。(グッドゥとサルーがいなくなってから金銭的余裕ができ、兄弟2人は学校に通えるようになった)

起こった事実はあまりにも辛く、取り戻すことのできない時間や大切な人を失ったけど、この物語を通して、今の行方不明当事者たちは勇気を出して人生を取り戻せるかもしれない。

そして遠い日本の私たちやアメリカヨーロッパ、世界各国からも、そのような子供たちのために行動を起こす人もいるはず。

一つの興味深い物語としてだけではなく社会的にも意義のある作品だと思います。

-未分類